真贋 Fake it till you make it



今日、かづきれいこスクールで東海林のりこ氏の講演を聞いた。元気で豪快、優しそうなステキな女性だった。 (学校後、みちこさんと三の宮でインドカレー。アンチエイジングに関して遅くまで語り合って楽しかった!!) 

かづきれいこスクールの「フェイシャル・プランナーコース」在籍中の私は、死ぬほど難しいメイクを練習していていつも思うのだけど、かづきれいこメイクとは、NY在住ライター黒部エリさんがかつておっしゃった日本人女子のメイク=「盆栽メイク」を、まさに体現している。 盆栽メイクとは・・・一見、ナチュラル&シンプルでフツーの日本女子系の仕上がり。だが、実はこの「ナシュラルな感じ」を丁寧に丁寧に作るため、すっごく複雑な手順&技術を駆使しており(そのレベルはアメリカ人に説明すると悶死しそうなほど難しい)、まさに手の込んだ、盆栽のような芸術品だ、というもの。 もともと、かづきれいこ氏は顔や身体に痣や赤み、傷跡のある方々の心理的負担を外見から取り除いて社会復帰の手助けをしたい!という理由から、これらの手順を開発されている。痣や疾患などの違いにもよると思うが、センシティヴな日本人のお眼鏡にかなう技術を開発するのはとても大変だったと想像がつくし、また長時間落ちない、くすまない、隠したい所をキチンと隠せる、という技術を、高い標準で作り上げた「技の数々」は、並大抵のものではない。 習っている私も未だにヒーヒー言っているほど、難しいのだ。(かづき氏は素晴らしいビジネスウーマン&社会企業家でいらして、かつ、とっても暖かいお人柄を大尊敬&お慕い申し上げている私ではあるが、仕事とこのコースを両立するのはマジ、大変です・・・。)

まあ、勿論、そんな難しいものはそのままアメリカには持っていけないけれど、日本の「業師」が質の高いサービスを提供して欲しいアメリカ人に売る事が出来るなら、とっても丁寧&細部まで素晴らしい仕上がりのこの技術は(美容師と一緒ですね)、現地で気に入られること間違いナシだと思う。 でも。 その繊細な「盆栽美」をどこまで見分け、心から堪能してもらえるか、というと、オオラカなアメリカンには微妙である。 10年ほどアメリカに住んで最近日本へ戻っている私は、部分的に感度がアメリカ化してしまっていて、日本人が拘る眉の微妙なカーヴとか毛穴とか、日本人が気にする度合いでは気にならなくなっているのですね。 だから、かづきれいこ式メイクを学ぶのがどれだけ大変か! 嗚呼日々是修行・・ってかんじなのである。

でも、この繊細な技術は、果たして我々を良い方向へ導くのか、時々考えることがある。メイクにはいろいろな用途があって、しみや痣を「隠す」もの、トレンドを「創る」もの、映画の特殊メイクなど「化ける」もの、気分を変えたり見た目をチェンジする「自己主張」・・・時や場所や好みによってそれらがいろいろ変わるものだと思う。 メイク=ビューティのつながりは、上記全ての要素がコンバインされて出来る場合も多々、ある。 うーん、多様化されたメイクの概念の中で、真にビューティとつながる部分は、果たして、どこなのかしら? 
一般的にいえば、人によって多様で違ってていいんじゃないの~?ということになろう。 
かづきれいこ式メイクに問うなら、それは、マイナス(痣、傷跡など)をプラス(目をそらし全体をチャーミングに見せる)に変えるに変えるものを目指していると思う。
よく考えれば、それらが単なる対処両方でしかなく、それが起こる根本の「予防」はできないものらしい。
。 一般と違うものを認めない、個人としてリスペクトを払わない、そういう社会を変えるのが、「予防」なんではと思うが、それはできなくていいとされているらしい。 なんででしょう。

続きはあとで。

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